師と出会える幸福 再論『仏教は科学なのか』『チベットの先生』|深夜対談(星飛雄馬✕佐藤哲朗)

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  • Опубликовано: 30 янв 2025

Комментарии • 7

  • @花ヤッシ
    @花ヤッシ 3 дня назад +3

    勉強になりました。
    チベットの先生、読んでみます。

  • @sirasawa744
    @sirasawa744 2 дня назад +3

    わたし、星飛雄馬さんの「初期仏教キーワード」偶然持っていました。
    曹洞禅に関わりがおありとは驚きました。
    あの・・・格義仏教の影響で、仏教の「解脱」と、中国禅の「悟り」の混同が生じていますが、
    この両者は全く違います。中国禅の悟りは「荘子」に由来し、他にアドヴァイタの「非二元論」と
    同じ内容です。禅でいう無分別は非二元のことですし、膜妄想は「梵我一如」のことです。
    一方、解脱では3つの明智、四聖諦、十二縁起が本当に生じ(これらを総称して阿耨多羅三藐三菩提)、
    ブッダの追体験が起こります。
    十二縁起の1無明、2行、3識、4名色・・・
    この「名色と識(別)」に関わるのが禅でいう「悟り」ですが、八正道をやると「無明と行」の停止を
    経験します。
    荘子の「坐忘」。これは道元の「只管打坐」です。
    また、荘子は「万物斉同」を言いますが、これは「梵我一如」です。
    慧解脱では3つの明智によって解脱し、心解脱では「悟り」がその端緒となります。
    しかし、只管打坐や坐忘は八正道の「正定」にいきなりトライするのと同じで、解脱とは違う結論に至ってしまいます。
    初期仏教では平均して数ヶ月でみな「阿羅漢」に到達しますが、只管打坐では30年や40年坐禅しても、
    悟りが何か掴めません。禅の「悟り」と釈迦の「解脱」を混同すると、途轍もない迷路に迷い込みます。
    一生を無駄にする方も珍しくありません。
    「USJ」と「東京ディズニーランド」を同じと思って、両者から意見を聞くようなものです。
    この問題はチベットでも「サムエの宗論」として大きな論争がありました。中国禅の「悟り」はブッダの「解脱」では無いんだと。
    長文失礼いたしました。

  • @0.shusei
    @0.shusei 4 дня назад +2

    ありがとうございました🙏

  • @タラバガニアシモフ
    @タラバガニアシモフ 4 дня назад +2

    対談配信ありがとうございました( ^ω^)
    大念処経: ヴィパッサナー瞑想の全貌を解き明かす最重要経典を読む、サンガ出版が以前出していたものとどう違うのか気になりました。
    AmazonでKindle版見るとサンガ出版の画像になっているのを発見しました 👀
    大念処経シリーズの元ネタは、心を育てる本屋さんの大念処経シリーズだと思うんですが、その最初の方で、まとめて後世に残したら大きな功徳になる、というようなことを長老がおっしゃっていたと思います。
    それがこの本なんですね 🙏
    大念処経と四念住経との違いも気になりました 🙏

    • @naagita
      @naagita  4 дня назад +2

      @@タラバガニアシモフ コメント多謝。基本的に同じ内容の本になります。旧サンガが倒産して新刊 扱いがなくなったので、サンガ新社から改めて 出し直した形です。再刊に際して細かい校正やルビの追加を行いました。

  • @takedafunky147
    @takedafunky147 4 дня назад +2

    スマナサーラ長老はたまにとんでもないことを言うことがあるけど、ご本人が言っているように、その人の欠点は除いて学べる部分だけ学べばいいのかなとは思います。

  • @松田さん-s7e
    @松田さん-s7e 4 дня назад +1

    コスモポリタン再び!